天翔る龍の如く

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雑談『こどもの日と兜』

もうすぐゴールデンウィークがやってきます。


去年と同様あいだに平日を挟む飛び石連休というヤツで、カレンダー通りの休みの場合は少し物足りない、逆に平日を休めれば

10連休以上ということで職種によってずいぶんと格差を感じる連休となりそうです。


その中の5月5日はこどもの日となっていますが、一般的には男の子のための祝日という認識ではないかと思います。


正しくは男女関係なく全ての子どもたちの成長を祝う日とはされているものの、桃の節句が対となる行事として存在することと、男の子のために鯉のぼりと兜を飾る風習がある以上は、やはりこどもの日は男の子のための節句でしょう。


ひとつ気になるのはその飾り用の兜の存在です。


大谷翔平選手がエンジェルス時代のホームランセレブレーションとして使用したことで、アメリカでも脚光を浴びましたが、元を辿れば戦国時代の武将のシンボルです。


つまり端午の節句として男の子のために兜を飾るということは、「いつか立派な武士となって戦へ行き手柄をあげよ」という願いを込めた行為ともとれます。


先の大戦に敗北し、そのトラウマからすっかり戦争アレルギーになった日本人ですが、男の子に戦のシンボルを与えるという行為には抵抗感を持たないというのはなんとも不思議な現象に感じます。


戦国時代の戦も、太平洋戦争も、故郷と国の違いはあれど、どちらも「クニ」のために他国の領土を奪う、あるいは護るために戦ったということは全く同じであり、唯一の違いは時代背景だけでしょう。


戦争には痛快で勇ましい英雄譚も有れば、聞くに耐えない残虐非道な行いもあり、とても一面からの考察、価値観では語れません。


にもかかわらず戦国時代を題材とした小説、映画、大河ドラマなどでは、戦や有名武将を非常に好意的に解釈し描かれる一方、第一次世界大戦以降の戦争は非常にネガティブな物一色で塗り潰されている印象を受けます。


その要因にまで考察を進めるととてもまとまらないので端折りますが、ひとついえるのは、戦争に対して強くネガティブなイメージを植え付けられた現在の日本人の中にも、故郷のために戦う武士への憧れのような感情がいまだに消えずにあるということ。


戦後80年の間、日本はアメリカの庇護のもとに平和な時代を享受してきましたが、それはアメリカにもまた、日本との戦争へのトラウマがあったのだろうと解釈できます。


太平洋戦争をアメリカからの視点で見ると、開戦直後の日本の快進撃は凄まじく、ミッドウェー海戦で優劣が逆転するまではアメリカは敗北も覚悟し、その後の終戦間近、敗色濃厚になっても諦めず、神風作戦なるものにまで打ってでる日本に対して大いに恐怖したそうです。


その恐怖から日本を戦争の出来ない国にして徹底的に保護してきましたが、80年という月日がそれを忘れさせはじめているのがトランプ大統領の動向から見てとれます。


いよいよアメリカは日本を切り離し、軍事的独立を促してくるようになりました。


現在の日本は北方領土をロシア、竹島を韓国に占拠され、尖閣諸島を中国に狙われているという、実は割りとシビアな状況下にあります。


これでアメリカの庇護が外れた時どうなるか、考えたくない状況ですが考えておかなければならない話です。


牙を抜かれて久しい日本がアメリカの盾なしにどうやって諸外国相手に立ち向かえるのか… 


希望があるとすれば、日本人の心の中で消えずに残る戦国時代への憧憬ではないかと思っています。